<   2005年 11月 ( 10 )   > この月の画像一覧

温泉で

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いつまでも
ふさぎ込んでいるわけには
いきません。
やはり、
先ばかりを考えるよりは
今を楽しまなくては。

というわけだから
ではありませんが
先週末は、
遠出をして、
温泉を楽しんできました。
研修旅行です。




大正時代にタイムスリップしたかのような
温泉街に息をのみ
旅館の方々の
心温まるもてなしに
心もほぐれました

おみやげに買った亀まんじゅうも
ほっかりやわらかで甘くて
何から何までが
やさしい温泉地でした。

たっぷり二日間の研修で、
私が今大事にしていることも
再確認できました。

家族がいて、
仕事ができて、
そこそこ健康で、
お互いに気兼ねしながらも
もめごともなく暮らしている毎日があって…

温泉につかって
同年代の友と語りながら
大きな自然と
あたたかい言葉と
人のぬくもりと
いろんな事や周りの人たちに
ありがとう
と言える私になれた週末でした。
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by hanaatushin | 2005-11-30 02:17 | 大切なとき

眠れない夜

今日は休みで一日中家にいた。
家にいたというより、部屋に閉じこもっていた。
こんな休みの日は、気が滅入る。

私は、まだ嫁だ。
リビングにいても、義父と義母がくつろいでいると、
私は居場所がない。
居場所がないような気分になる。

私はまだまだ外で仕事をしたいけれど
同年代で、そろそろ退職勧告を受けている人もいると聞く。
私もそうなったら、
この家の中で、一日中こうして息詰まる思いで暮らすことになるのだろうか
と、先のことを心配し、
暗い気持ちでいっぱいになって部屋から出られなくなる。

買い物も、台所仕事も、庭の管理も、
しっかり者の義母と義父が
全てそつなくこなしていく。
だから、休みの日でも、私の出番など、どうしてもありっこない。
どんどん仕事が進められていく。
だから、私は自分の居場所が無いような気になって
部屋に閉じこもることになる。

義母が台所に立っているとき、
私は手を出せない。
ずっとそうしてきたから
今さら、できない。
私に何を頼むでもなく
私に何を言いつけるでもなく
義母はずっと1人でなんでもこなしてきた。

50才になったというのに
私はまだまだ半人前にもなっていない。
やらなければ覚えられない。
主婦の仕事をろくにしていない私は、本当に役立たずだ。

してもらえるだけ、ありがたいことよ。
なんでもしてくれるお義母さんで、よかったね。

周りのみんなはそういうけど
本当にその通りだけれど
義母は本当にいい人だけれど
思秋期を迎える年代になっても
自分の家庭を自由にできない閉塞感をどう表現したらいいのか分からない。

それなのに、私の未来に待っているのは、義父と義母の介護なのだ。
2人の介護が立ちふさがっている。
私は子ども達と離れて暮らすのに。

仕事を早めに辞めたら、自分の好きなことをするわと、
退職を心待ちにしている友達もいる。
彼女は核家族。
これから私を待ち受けているのは、介護なのだと思うとたまらなくなる。
母が12年介護をしたときの、あの辛さ、あの重さがよみがえってきて、こわくなる。

もう、私を自由にしてください。
私の思うように食器を選ばせて下さい。
私の思うように冷蔵庫を使わせて下さい。
普通の働く主婦の生活をさせてください。

それができなかったら、私のこれからの時間を私のためのものにして下さい。

そんなことを朝から考えて、一日を過ごした。
そして、今も眠れないで、鬱々としている。
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by hanaatushin | 2005-11-24 01:38 | つぶやき

国家の罠 

「国家の罠」
これまでの私だったら、手に取ることもないジャンルの一冊でした。
驚きの連続でした。知らないことだらけだったからです。
読み終えるのにとても時間がかかりました。理解も十分にできませんでした。

ワイドショーで聞きかじっていた、鈴木宗男氏像との違いも驚きです。

佐藤氏が繰り返しなんども、そして、被告人最終陳述の中でも語っていたように、小泉政権確立後、「日本は、ハイエク型新自由主義と排外主義的なナショナリズムへ」と「本格的な構造転換を遂げようとして」いるということが、今回の選挙やポスト小泉の動きなどを通して実感できるような気がします。ああ、今そういうときなのかと。その渦の中、そうとも知らずに過ごしているのかと。

私は、26年後に外務省にこれに関する文書が残っていることを願う気持ちです。
真実とは何か正義とは何か、本当に歴史が解明してくれるのでしょうか。
私には、何がなんだか分からないというのが正直なところです。
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by hanaatushin | 2005-11-23 11:17 | つぶやき

小春日和に

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毎日眺めている景色です。
木々の葉が、山の色が、空の高さが、季節と共にうつろい
そのときそのときの最高の美しさを感じさせてくれる
この景色が私は好きです。

この景色を眺めて、3度目の冬を迎えようとしています。
今年が最後の冬になるはずだったのに
この土地から離れることもできるのに
私は来年もまた、この地で働くことを選ぼうとしています。

大きな選択です。
この景色は何度も私を優しくしてくれました。
大らかにしてくれました。
元気づけてくれました。
だからといって、もう一年
ここで働くことを選んで本当にいいのかしらと迷いながら
残る道を選ぼうとしています。

まもなく、この世界は真っ白になります。
2m近い雪に閉ざされます。
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by hanaatushin | 2005-11-21 21:44 | 大切なとき

雪と紅葉

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娘を図書館に送った帰り、1人で車を走らせ、ドライブをした。
山道の方にむかったとき、あまりにも景色がいいので、車を停めてカメラを構えてみた。
けれど、あの美しさをカメラの中に収めることは難しかった。

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紅葉の美しい木々の根本は、初雪で真っ白だった。
陽光に照らされて、紅葉も雪も輝いていた。
そのまぶしさを切り取ることは、難しい。



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by hanaatushin | 2005-11-21 06:05 | つぶやき

体は大丈夫?

祖父母の法要があって親戚が集まった。

一段落してから、母から電話があった。
母は、まじめな口調で言った。
「おじちゃんも、おばちゃんも、あなたが太ったってビックリしていたよ。
 どこか体の具合でも悪いんじゃないかって。
 病気してるんじゃないかって。
 あなた、体は大丈夫なの?」
ぎくっとした。
最近血圧が高くて、コレステロールも…
と心配していた矢先だったからだ。
母は心配するから、内緒にしていたのに。

私ってそんなに、急激に太ったのかしら、
それじゃ本当に病気?
と、私も深刻に考え込んでしまった。

しかし、落ち着いて考えると、
1人の叔父とは17年ぶり、他の叔父叔母とは5年ぶりくらいに会ったのだった。
5年くらい前の私はは、甲状腺の病気でかなりやせていた。
今と体重は10キロ近く違う。
今は、元に戻ってから、ちょっと太った
というくらいに私は考えている。
短期間に減増したわけだから、急に太ったということはまちがいない。

母があまり深刻なまじめな口調だったから
私まで深刻になるところだった。
そう心配することでもないはず。だってまだ以前の洋服を着られるもの。
腕と胸はきつくなったけど…

今に見ていてちょうだい。
私だって、お医者さんに言われているんだから
やせる努力ぐらいするわよ!!

といいつつも、
土曜日はホテルで宴会
今日も豪華弁当昼食
なかなかやせる機会は作れない。

今朝、30分ぐらい歩いたけれど、
30分じゃぁねぇ
でも、しないよりはまし。
今からスもテップを30分して
それから読書をしながら半身浴をして…

今度こそ、すこ~しは成果を出せたらなぁ
生活習慣病を追い出してやりたいな。
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by hanaatushin | 2005-11-13 20:22 | つぶやき

母は、人生の充実期を介護に明け暮れる人生を送った。
私は、母の人生はつまらないと思ってきた。
母がかわいそうでならなかった。

私は、祖父母の介護を両親に、特に母に押しつけるようにして、
自分たちは何も手を出さない叔父叔母を恨んだ。
 都合のいいときに現れて、自分たちの都合のいいことばかりをして…
 母も、父も泥だらけで働いているのに、
 休む間もなく働いているのに、
 祖父母の介護をも背負わされて…

その祖父母の法要があった。
母が、苦労したことをねぎらう言葉が次々とかけられたが、
叔父も叔母も、祖父母の寝たきりの様子をきちんと記憶していなかった。

祖母はなくなる3年くらい前から、目がよく見えなくなっていた。
箸を探すときは手探りをしていた。
お椀を持つときも、そーっと手探りをしていた。
だからよくお椀を引っかけてこぼすことがよくあった。
それで、祖母の汁椀をどんぶりのように重いものにかえたのだ。
その事を叔父も3人の叔母も記憶していなかった。

母が言った。
「強い人だったから、決して弱音を吐かない人だったから、
 だから、気付かなかったのね。」
祖母を誇るような口ぶりだった。
祖母の強さをたたえる口ぶりだった。
私には、ちょっとした驚きだった。

母は、祖母の強さに痛みを感じていたんじゃなかったの。
祖母の強さのために、母は泣いたこともあったんじゃなかったの。

そんなことも何もかも、時間は洗い流してしまったようだ。
そんな母の言葉だった。

共に家族として時間を共有したこと
義理の関係ではあっても親子として一つ屋根の下で過ごしてきたこと
そのことの重さや意義がくっきりと表れているようだった。
母は、大変だったけれど介護に明け暮れた12年を後悔はしていない。

血のつながっている叔母たちよりももっと
母の方が祖母を知っていて、身近な関係だったことをよく伝えていたと思う。
そういう自分を
やり遂げた自分を誇りにしている。
昨日の母を見て、そう思った。
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by hanaatushin | 2005-11-07 20:09 | 思い出のひとこま

祖父母のこと

思い返してみるともう40年近くも前のことになった。
私の祖父は2度目の脳梗塞で寝たきりになった。
厳格な祖父だった。
大きな声で怒鳴ることなど少なかったが、
げんこつが降ってくることが多かった。
祖父の言うことは子供の私にとっては、絶対だった。

私は、祖父をあまり好きではなかった。
親しみのようなものがあまりなかったからかもしれない。
しかし、40年以上も前に、
田舎村の農家の爺が
弟が生まれるまでは一人っ子だった私に
クリスマスになると、いろいろなものをプレゼントしてくれたことはよく覚えている。

大きい赤い長靴に入ったお菓子セットを手渡されたことがあった。
ショートケーキが入っているとんがり帽子が、枕元に置かれていたこともあった。
さまざまなお菓子がぎっしり詰まっていた真っ白なお城が置いてあったこともあった。
当時の農家の暮らしの中では、どれも豪華すぎるほどのプレゼントだったと思う。
だから本当は、私は祖父に随分かわいがられていたのだと思う。

そのころは、飼っていたニワトリがよく食用にされた。
我が家でその仕事をするのは、いつも祖父だった。
祖父は、初めの作業は絶対に私の見えないところでしていた。
もとの形が分からなくなってから
上手にナイフを操ってニワトリを解体していく祖父の手元を幼かった私はいつもじっと見ていた。
仕事が終わると、祖父はいつもササミを焼いて食べさせてくれた。
香ばしく焼けたササミに醤油をたらして
祖父と私だけで食べた味は格別だった。
私は、それが楽しみで、祖父の間近で作業を見つめていたのかもしれない。
この風景を思い出した今になって改めて、
わたしが祖父にかわいがられていたと感じることができた。

でも、子供の頃の祖父は親しみを感じる人ではなかった。
祖父は、よその人に父のことを語るとき
けなすことばかりを言っていた。
明治生まれの人が、自分の家族を人前でほめることなどできないことは
今になって分かるようになったけれど
子供の頃はそんな祖父が好きではなかった。
大好きな父のことを軽んじるように話す祖父が好きではなかった。

そんな祖父が寝たきりになった。
当然、介護は家族の仕事だった。
祖母が、愚痴をこぼしながら3年ほど介護した。

祖父は、都はるみの歌を聴くと声を上げて幼子のように泣いた。
厳格だった祖父の変わりようが悲しくて
私は、もっと祖父に近づかなくなった。

そして、私が中一の時の12月29日、
正月飾りのための餅つきをする日の朝に
祖母が倒れた。
祖母も、その日から寝たきりになった。

40年近く前のこと
福祉はそれほど充実しておらず、
舅姑の介護は嫁の仕事と誰もが当然のように考えていた時代だった。
農業をしながら、母は2人を介護した。
介護用品もろくに出回ってはいない時代だった。
母は、通算12年間、寝たきり老人を抱えて、仕事もして子育てもしてという生活を送った。

ずっとこれまで
私は、寝たきりの家族がいるから、我慢することばかりが多いと思ってきた。
私は、寝たきりになった祖父母のせいで苦労してきたと思っていた。
そして、長い間介護をしてきた母がかわいそうでならなかった。
母のことを思う尺度で考えてきた。

でも、今日はいつもとは違う。
何気なく、祖父のことを思い出しているうちに
十分な介護を受けられなかった祖父の切なさにも思い至った。
祖母の布団の上の姿を思い出すうちに、
寝たきりになってから、一日のほとんどをテレビだけを相手に暮らした祖母の気持ちを思った。
祖母はどれほどの思いを抱いて毎日を過ごしたのだろうと。

祖父母は2人とも寝たきりの状態で金婚式を迎えた。
父は兄弟を集めて、金婚式の祝いをした。
祖父母はそれぞれに花束を渡されて、にこにこしたけれども
2人寄り添うこともできなかった。
晴れ着で飾ることもできなかった。

私は、祖父母の人生のどれほども知ってはいない。
家族であり、血を分けた肉親であるのに、祖父母の思いのかけらも気付かないで過ごしてきた。
考えようともしなかった。
だからこんなふうに、祖父母のことを思い出して考えたことは、今までなかった。

今、祖父母がぐっと身近になった。
明日は、2人の法要がある。
2人が私の心をたたいたのかもしれない。
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by hanaatushin | 2005-11-05 02:08 | 思い出のひとこま

我が家の秋

我が家のナナカマドが、紅葉した。
見事な赤に、秋の深まりを感じる。
今朝はひさしぶりに青い空だった。
赤が朝日に輝いていた。


ところで8月の末にフィンランドに行ったときに、
ナナカマドの赤い実が街の至る所で目についた。
ガイドさんは、
「こちらの人は、この実を食べるようですよ。」
とおっしゃった。
でも、私達の誰1人も食べた経験はなかった。
勇気ある男性が1人、たわわに実った真っ赤な実に手を伸ばし
2~3粒つまんで口に入れてみた。
しかめっ面になった彼の表情から、まずさのほどが伺えた。
「まだ熟していないからかしら。」
とガイドさんはおっしゃったけれど、
見たところ日本のナナカマド変わりないような木の実を
苦くてはき出してしまう実をフィンランドの人は本当に食べるのだろうか。
謎が残ったままになってしまった。

我が家のナナカマドは、どこから見ても純日本といった感じがする。
日本の秋には、ナナカマドが欠かせないといってもいいくらいだ。d0009689_233552.jpg














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by hanaatushin | 2005-11-01 23:01 | つぶやき

コーヒーが実った

夏に咲いた白いコーヒーの花
その花が実をつけた
コーヒーの木になった実だから
コーヒーだろう
どうなったら実が熟したというのかな
収穫(?)はできるのかな
家でとったコーヒーの実でコーヒーは作れるのかな
大騒ぎするようなことではないが
北国の我が家のリビング
その一角がコーヒー園になった


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この写真は、新しくなったカメラで撮影した
カメラはいいんだけれど
カメラマンの腕はいまひとつだ…
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by hanaatushin | 2005-11-01 01:02 | つぶやき