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遺伝子の仕業

血圧が100に届かずに
毎朝苦労したのに

いつの間にか
高血圧の数値になっていました

お医者様から
遺伝子が騒ぎ出しましたね…
とニヤリとされたけど
本当にそうだったら 
怖い

遺伝子の大活躍を喜ぶことなどほとんどないのに
こんな悪いときにだけ引き合いにされて
私の遺伝子も
いい迷惑だと思っていることでしょう

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仕事を休んで 病院に行ってきたところです。
私の遺伝子さん、どうかお手柔らかにお願いしますね。
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by hanaatushin | 2005-06-24 12:23 | つぶやき

見ているのはつらい…

テレビの前に陣取って、
じっくりと番組を見ることなどなかった娘が
毎日テレビの前で時間を過ごしています

何かあるのでしょうが
私には何もできません
ただ見守るだけです

でも、見ているのはつらいものです
何か口出しをしたくなります
でも、ここでぐっとこらえます

私の人生ではない
彼女の人生を生きているのだから
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by hanaatushin | 2005-06-23 23:20 | つぶやき

おかあさん

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おかあさん
どうしてもそう呼べませんでした

おかあさん
今もそう呼べません




義母を
おかあさんとよべずに
過ごしてぎました

私の母は一人だけ…
かたくなな心のままで
25年もすぎました

そういえば
私も名前で呼ばれたことはありません

お互いに心に垣根を持ちながら
同じ屋根の下で暮らし続ける
私達です

普通の家族になっているわたしたちです
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by hanaatushin | 2005-06-21 03:45 | つぶやき

離れていても

最近 頻繁に実家に帰っています。
これまでは、年に3~4度の帰省でした。
義妹が入院したこともあって、帰省が増えました。

道路事情がよくなって、最近では2時間半ほどのドライブで帰ることができるようになりました。

まさか、日帰りできるようになるなんてね。
たびたび来られるようになったね。

うん、また来るから…

夕方、私の車を見送りに出てきた母との会話です。

ああ、このまま一緒に乗っていきたくなった。
母の言葉に運転席から母の顔を見ると、涙ぐんでいました。
こんな言葉も表情も、これまでは見せたことがない母でした。

早くに両親を亡くし
農家に嫁いできつい農作業に明け暮れ
病弱な弟の将来を案じ
私にとっての祖父母が寝たきりだった12年間は、介護しながら働き
今でも、畑仕事に追われている母。

でも、
3人の孫に囲まれて暮らしている今が一番幸せだぁ
と笑って見送ってくれていたのに…
私はせいいっぱいの笑顔を作って、そそくさと出発してしまいました。

わたしは、帰りの車で誰にもはばからず、涙を流しました。
近くにいてあげられない不孝を選んだのは私です。
だから、離れている私だからできることを探していきたいと思いました。

離れていてもできる孝行…
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by hanaatushin | 2005-06-15 05:39 | 大切なとき

極上の日曜日

母について、畑に行きました。
父の長靴を借りて行きました

小豆をまきました。
にんじんの間引きをしました。
さや豌豆をとりました。

となりでは、先に来ていた父がアスパラの畑に肥料をまいていました。
父は、ゆっくりゆっくり足を運びます。
脳梗塞の後遺症の足を引きずりながら…

父の長靴は思った以上に小さくてびっくりしました。
父は、畑の短い畝を往復するたびに、軽トラックの荷台に腰をかけて休みました。

父は75歳です。
年を重ねて野良仕事なんて…
農業の規模縮小もしないで、いつまでも仕事に追われているなんて…

はたから見るときつそうな毎日を父は、
俺はたらかねがったら、家は大変だぞ。
働いでっから、毎日ビールも飲むんだ。
それに、俺はリハビリだと思ってっから。
と生き甲斐にしています。

いつまでこんな大変なことしてないとダメなんだが…
と愚痴をこぼす母も、鍬を持つと身が軽くなるようです。
収穫する顔も生き生きとしていました。

とうちゃん
畑では子供だったときにそう呼んだように父を呼びました。
かあちゃん
母もそうよびました。

梅雨入り前の快晴の昼でした。
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by hanaatushin | 2005-06-14 05:19 | 大切なとき

手紙

d0009689_21162688.jpg長男から手紙が届きました。
前に手紙をもらったのはいつのことだったでしょう。
何か衝突をして、うまく話ができなくなったときに、息子が書き置きして以来のような気がします。

似ているからだと良くいわれましたが、私と長男はなかよく穏やかに話をすることがあまりできませんでした。
いつもとんがった言葉をお互いにぶつけ合って…

久し振りにもらった手紙には、優しい言葉も見られました。
お給料の中から、パソコンを買ってもらった分を少しずつ返すよと、お金も添えてありました。

しみじみと嬉しくなります。
こんな気持ちを味わえるようになるなんて、あのころは思うこともできませんでした。
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by hanaatushin | 2005-06-11 21:18 | 大切なとき

苦い思い出

私が卒業した学校は女子校でした。
その地域での、進学校と言われる学校でした。
「母も学べば姉も通いし○○女高に 今し我らも…」
こんな歌詞で始まる校歌を持つ伝統校の一つでした。
制服のネクタイピンには葵の紋章がついていて、この制服もわたしにとって誇りの一つでした。
でも、高校時代には二度と戻りたくありません。
毎日勉強のことだけが頭のなかに渦巻いていました。
女同士、友達のようでいてみんなライバルでした。
10クラスもあった学校だったけれど、成績で4区分されてクラス編成がなされていました。
理系コースには90人いましたが、たとえそのクラスでビリの方でも学年450人中100番ぐらいにはなる計算でした。
繰り返し実施される模擬テストの点数で序列化され、いつも息が詰まりそうでした。
30年以上前のことですが、長期休業中は、東京の予備校に講習を受けに行く人もいました。宿泊しないと不可能ですから、かなり気合いが入っていたことになります。

私は、そんなクラスの中では落ちこぼれ気味、いつも「分からない」ことに苦しめられ続けました。
何日も学校を休んで部屋に閉じこもっていたこともありました。
受験勉強が手につかなくて、夏目漱石や森鴎外、堀辰雄などの文庫本をひたすら読みました。
楽しいことなど、何もなかった、いや、ちょっとしかなかった…
自分の子供が生まれてもこの高校にだけは入れたくないと、17歳の時に本気で考えたほど楽しくありませんでした。

ところが、娘も女子校に入ってしまいました。
私は地元を離れたので、私とは違う県で、娘も女子校を選びました。
娘の高校も県内有数の進学校です。
私のころを遙かにしのぐ受験体制です。

おそらく、娘も私が30年以上前に味わったあの苦さを味わっていることでしょう。
ときどき、不安定になったり不機嫌になったりする娘を見ていると、そう感じます。
私は二度と戻りたくないと思う3年間ですが、娘はどう思っているのでしょうか。
部活に打ち込んだ2年間。娘は土曜日も日曜日も学校に行きました。
休む間もない高校生活を送ってきました。これから、春までそれが続くでしょう。
時々、学校に行くのがつらくなって休んでしまうこともあります。
私から見ると、それも分かる感じがします。

私は、自分の高校生活を楽しいものにできませんでした。でも、娘は、私のような後ろ向きな思いを持たないかもしれません。
それは、娘が私が高校生だったときよりも、ずっとしっかりしているからです。
つらくても、自分で折り合いをつけて、切り抜けていけると思っています。
娘の底力を信じています。
私の子供ですが、なかなかな娘です。
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by hanaatushin | 2005-06-07 22:33 | つぶやき

たった一人

5月末の土曜日、長男が赴任地に出発した。
といっても、これまでは東京にいた。
その間はいつも誰かと空間を共有していたと思う。
近くに友達もいたし。
けれども、土曜日、東京からまっすぐに行ってしまった。
私達に会いにも来ずに…。
赴任地では、部屋探しも何もかも自分一人でしている。

赴任地には、息子の知り合いは誰一人としていない。
もちろん、私の知り合いも…。
新規採用はたった一人。
会社のメンバーとはかなり年の差があるらしい。

新社会人たった一人、社会に飛び込んで、やっていけるのだろうか。
もともと、息子は人との関わりが上手な方ではない。
何か面白いことを言って受けをねらったりすることはできない。
自分の生活でさえ保てるかどうかも心配しなければならない、自立できていない息子である。

このところ、息子のホームページには、暗雲が立ちこめている。
そこからは、明るい言葉も希望のかけらも見いだせない。
だから、言ったのに。地元に就職した方がいいって…。
のど元まで出かかった言葉を飲み込んだ。

二日前の℡で、空元気を出したようなむやみに明るい声で、
「俺は、3年計画のプロジェクトに加わるんだよ。これから始まるんだ。1年目は出張が多いらしいよ、2年目からは…。だから、俺、一つの仕事が終わるまでは頑張ってみるよ。」
と言っていた息子。

自分が全く知らない土地に、ぽっと一人投げだされたらどうだろう。
そう考えただけで、私は背中が寒くなる。
ひとりぼっちがたまらなく怖い。
だけど、尻込みもせずに行った息子は、まあ頼もしい方じゃじゃない?

遠いと言ったって、日本語も通じるし、帰ってきたければ飛行機でその日の内に我が家までたどり着ける距離だもの。

どこにだって親切な人も優しい人もお節介もいるに違いないから、きっと誰かに力を借りて何とかやっていけるような気がする。初めはみんな知らない間柄でも、時間をかけて親交が深まっていくものだと思うから。

きっと大丈夫、きっとやれる、そう信じる。

後ろを見てもしょうがないし、これからを案じてもしょうがない。
いま遠くで一人孤軍奮闘しているその事を、安心しよう。
そうしよう。
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by hanaatushin | 2005-06-05 15:54 | つぶやき

記念すべき最後の日

娘が小学3年生からずっと続けてきたソフトボール
蒿3の最後の部活を終えて娘は帰ってきました。

中学生の時、県大会優勝をめざし、親も子も精一杯頑張りました。
夢は叶わなかったけれど、勝つ楽しさを娘は十分に味わったようです。
わたしも、マウンドで踏ん張る娘の心の強さに感動したり、応援を通して親として最高の喜びを娘に分けてもらったりしました。
娘の部活を通して私自身にも友達が増えました。

高校生になって、娘はソフトボールを続けながらさまざまな挫折感を味わったようです。
早朝の登校、遅い帰宅。にもかかわらず待っている山ほどの課題。思うように勉強できずに伸び悩む成績。
コーチもいない環境でひたすら自主練。
仲間から感じる熱意の差。
試合では、思うような結果を出せずに連敗。
オシャレを楽しんだりカラオケに行ったりすることもなく、汗まみれ泥まみれ、真っ黒に日焼けして…

しかし、今日の最後の日を満足して過ごせたようです。
仲間や後輩たちとの関わりを心から楽しんで、ソフトボールができることを心から楽しんで今日一日を終えたようです

明日は、県大会。
おそらく最後の試合になるでしょう。
私は、午後から休みを取って2時間車を走らせ応援に行くつもりです。
そして、ビデオに娘の姿をしっかりと記録してきます。

今娘は高校でもソフトを続けると決めた日に父親から買ってもらったグローブを磨いています。
これまで、本当によく頑張ってきた娘を誇りに思えます。
さて、明日に向けて、準備準備…
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by hanaatushin | 2005-06-02 21:51 | 大切なとき