カテゴリ:大切なとき( 78 )

今年も収穫の時期

今年も稲刈りの時期になった。
父は今年も野良にでている。
左の脚は思うように前に出なくなり、体を斜にして引きずって歩く。
立ったり座ったりにも手間がかかる。

作業がない日は、午前中はほとんど布団の中にいるらしい。
夕方からは居眠りをするらしい。
その父が、今年も野良にいる。

コンバインを運転する父は、元気なときとかわらない
と母が言う。
仕事を前にすると、ふさぎ込んだりイライラしたりして、母に当たり散らすことも多いらしい。
今年は、弟がたくさん手伝いに返ってきた。
私は、ほとんど役に立たないけれど、主人が手伝ってくれる。
明日は、二人で出かける予定だ。

今年も少しだけ父の手伝いができて嬉しい。
明日も天気予報は晴れだ。
嬉しい。
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by hanaatushin | 2011-10-09 14:40 | 大切なとき

今年の目標  

今年は静かなお正月を過ごしています。

日本各地を豪雪が見舞っているようですが、当地は穏やかな3が日でした。

今年は年末から今日まで、3度も餅をつきました。
と言っても餅つき器のスイッチを押すだけですが、
つきたての餅をおいしそうに頬張る子供の顔を見るのは嬉しいものです。
とうに成人した子たちであってもです。
今回帰省できなかった長男夫婦には、切り餅を送ります。

今年はいい年にしたいと切に願うお正月です。
いい年かどうかは私が決めるのですから、ふり返ってよかったと思えるようにしたいです。

昨年は、悲しいことが続きましたが、私にとってはそれなりに充実の年でもありました。
いい年たっだと言えます。

今年も、いい年に向かってスタートを切りました。


改めて、今年の目標はと考えてみました。
1 自分がしたいと思うことは、臆せず怯まずやってみること
2 これ以上体重を増やさないこと。できれば2~3㎏でいいので減量すること
3 仕事が忙しすぎて放り投げていた庭の仕事を少し再開すること
4 親の顔を年間10回以上見に行くこと
5 仕事ができることを楽しむこと
よくばりですね

でもこうして言葉にしてみたら、なんだかやる気が湧いてきて元気倍増です。

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写真は、昨年末浅草からの水上バスから撮影したものです。
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by hanaatushin | 2011-01-03 10:43 | 大切なとき

新幹線に飛び乗る

前の日の夜に突然思い立って、17日の一番の新幹線に飛び乗りました。
国立近代美術館の場所をよく確かめもしないで、上野と勘違いしていました。
上野公園をうろうろして勘違いに気づき、携帯で調べ直しました。
ようやく美術館に着いたとき、当日券売り場の前は人の群れでした。
30分待ちのプラカードを持った人の近くに行き、列の最後に並びました。

ようやく中に入れたのですが、半分も観ないうちに疲れてしまいましたが、一人で観るのだし、この美術展だけが予定なので、時間を気にしないで途中で外に出たり椅子にかけたりしながら、ゆっくりと鑑賞することができました。

「序の舞」はもちろんでしたが、私は「砧」にも
胸を打たれました。

また初期の作品には、揮毫に「女」の文字があり、上村松園さんが男性社会の中で抜きん出るまでの苦難を予測させるものだと思いました。
「女」と書き込まなければならなかった時代を思いました。

充実した1日でした。
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by hanaatushin | 2010-11-01 09:42 | 大切なとき

力がこもるようだ

秋の収穫を進めている父
思うように仕事が進まないときもあるようだが
父の表情は明るかった

なんだかな
足に力がこもるような気がしてきたんだ
田植えの頃は
かがむのもやっとだったんだが、今では、ほらこうしてできるようになった


日焼けした顔に笑みがこぼれた

一月前は
筋肉が落ちてしまって
あっという間だなあ
力が出なくなってしまって


と気弱な言葉が多かったのに
働き出して
仕事をこなして
父に少し自信が戻ったようだ

まだまだ、秋の農作業は始まったばかり
無理をすると
また体調を崩すかもしれない
そんな心配をよそに
大変だと嘆きながら、楽しそうに仕事の話をする父が目の前にいる

ああ
私は幾つになっても父が好きだと強く思った
強く誇れる父が
また目の前に現れた
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by hanaatushin | 2010-09-21 21:21 | 大切なとき

父の昔話

昨年の11月に父が手術に踏み切った。
まだ初期の段階だから…
手術の他には治療方法はないのだから…
今は自覚症状がなくても急に症状が現れるが、その時では遅いのだから…

主治医の話に父は何ヶ月も逡巡し、11月に手術を受けた。

しかし、その手術はどう見ても失敗だった。
幹部を取り切らないままに手術を止めたからだ。
悪性ではないと判断したらしい。
後からの検査結果で悪性だったと改めて言われた。

悪性だから手術をするのだと進めた主治医が、悪性でなかったと手術を途中で切り上げて、
後からやっぱり悪性だったと説明した。
医学の限界です。ミスではありませんと付け加えて…

再手術を待つ間、
父は帯状疱疹を患った。
糖尿の値も少し高めになった。

主治医は、父の再手術は難しいとまた前言を翻した。
放射線で治療をすると。

2ヶ月後に検査に行くと、CTに真っ白な大きな影が映っていた。
主治医は原因は分からないから、このまま様子を見るという。
炎症かもしれないし、そうでないかもしれない。
クラッシュということも考えられると。
それでも、様子を見ましょうとしか言わない。

退院までの2週間で、私は嫌な思いを何度もした。
先生に話を伺おうとして尋ねていっても、返事もしない。部屋にも入れない。
PCに向かったまま無視をする。
私のような非常識なクレーマーがいるから、地域の医療がダメになると言われる。
こんな所に居たくもない。私は、もうこんな病院を辞めてこの地域から出て行く、と言われる。
にらむ、無視する、怒鳴る、罵る。
このどれも父の担当医が私に向けた行為だ。

この医師は、父に、
「私を恨んでいますか。」
と聞いた。

この医師から離れることを父に勧めても、父は首を縦に振らなかった。

けれど、ベッドを並べているうちに親しくなった方の訃報を耳にし、
その方に対する医師の対応をご家族から伺って以来
父は、騙されていたと口にするようになった。
信じられないと。

主治医を変えて父は再度手術をした。
10時間近くかかった大手術になった。
血栓が飛んだり、痛風になったり、術後の合併症に父は苦しんだ。

そして、退院してキズは癒えたが、父の体力は落ちたままだ。
足が弱くなり、言葉に詰まることも増えた。

かつて、父はおもしろいことを言ってはみんなを笑わせるのが好きだった。
冗談ばかり言っている父に、真面目な母はついていけずに困っていた。
昔の話をしても、武勇伝や失敗談をおもしろおかしく語るのが父だった。

久しぶりに実家に帰ると、
父が仏壇の前に座って線香を焚いていた。
そんな父の姿を初めて見た。
いつもは母に任せっきりだったのに。
そして、自分の父親のことを話し始めた。
「あのころ、もっと~してやっていたらなあ。」
「どんな思いで暮らしていたのかなあ。考えてみたこともなかったなあ。」
夢に現れて悲しそうな顔をしてじっと見ていたと話した。

父の話の中に、これまで全くなかった話題だった。
話の内容にではなく、
父の話す姿に、鼻の奥がつんとした。

母は、
「娘にだから、話をするんだよ。」
と言う。
「他の誰にも、話すことじゃないよ。」
と。

父の昔話をもっと聞いてみたい。
いつも強くて、弱音などはいたことがなかった父が、
昔をふり返って悔やんだり、辛かったと弱音をはいたりする
そんな姿の父を身近に感じて
娘はもっと話を聞いてみたい。
めったに時間を作れないけれど、もっと父の近くに居て話を聞きたい。
娘は、少し悲しいけれどそう思っている。
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by hanaatushin | 2010-09-13 01:14 | 大切なとき

母の治療が…

お正月が明けると早々に、母が治療のために上京することになりました。
何度か、母は一人で5時間近く高速バスに揺られ上京し、病院で治療を受け
地下鉄を3会も乗り継いで弟のマンションに行くということをしてきました。

ある時は、治療が辛くて動けずに、病院の会計の椅子で何時間か過ごしてからバスに乗ったことも会ったようでした。

とても気になってはいたのですが、父の手術もあり休みが続いたので、付き添いはしていませんでした。

今回、丁度休みが取れたので、治療の前の日に母と東京駅で待ち合わせをしました。

携帯で連絡を取りながら、母の居るところにたどり着いたときはほっとしました。
私も、東京は不慣れの田舎者ですから。

私は今回、母を劇団四季のミュージカル「ライオンキング」に誘いました。
私はこれで4回目になるのですが、母と一緒に見るのは感激が違いました。
母は、身を乗り出して楽しんでいました。

それから、ゆりかもめに乗ってお台場に行きました。
入院していたとき母はよく13階の食堂から東京の景色を見ていました。
トータルで2週間の入院でしたから、遠くに見えるお台場の観覧車などもよく覚えていました。

夕暮れの中ゆりかもめに乗りお台場に行き、折り返すようにして汐留におりました。
汐留では、テレビ局のからくり時計を見たり、イルミネーションを見たりしたあと、夕食をとりました。

それからホテルへ…

次の日、母は検査を先にしました。
嬉しいことに、次は、8月の検査でいいといわれました。
もう普通の生活に戻っていいです。
何も制限はありませんと言われて、ほっとしました。

弟のマンションに向かう途中、青山一丁目で降りて、遅い昼食をとりました。
パンが食べたいという母の要望で、コーヒーショップのようなところでクロワッサンを食べました。

弟のマンションに着いたのは、4時前。
私は5時前にマンションを出て、東京駅に向かいました。
新幹線で、帰宅したのは11時近くでした。

母は、金曜日に弟に送ってもらって、新宿から5時間バスに揺られて、自宅に戻りました。

6月頃から、毎月のように上京し、弟のマンションに泊まってきた母は、当分上京しないことをちょっと寂しがってもいました。

母の治療の付き添いで上京したのですが、楽しい親子旅になりました。
夢のような時間だったと家に着いた母がメールをくれました。
私も、夢のような時間でした。
母が病気をしたから、こんな時間が生まれたのです。

何がどうなるかは、過ごしてみないと分かりません。
夢のような時間を、またきっと作ります。
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by hanaatushin | 2010-01-11 14:24 | 大切なとき

母と息子

母が東京の病院に通院するため
単身赴任中の弟のマンションに身を寄せている

田舎者の母にとって大都会東京は人生で何度も訪れるところではない
ということもあって
体調も良くなってきた母を弟が電車の旅に誘ってくれた

鎌倉へ
駅前を散策し
江ノ電にも乗って
と計画を立てて出かけたらしい

電車の中から母がメールを送ってきた
70代後半の母だが
メールも使えるようになった

私は弟に教わって写真もとってみたら…
とメールを送った

母と息子の二人旅
めったにできることではないと思う
楽しんできてほしい

私は明日実家に出かけ
週末から手術のために入院する父を
ドライブに誘う予定だ
忙しくてそれどころではない
と言われそうだけれど
そのときは、お茶でも飲んで帰ってこよう

携帯など要らない
とずっと拒んでいた父に
母が上京してから携帯を届けた
毎日母と話しているらしい
たった一度、父も孫に教わって母にメールを送ったらしいが
母は、私にもそのメールを見せてくれた
嬉しそうだった

その私は、まだ2度しか父と話していない
なんとなく…
父からも2度かかってきただけだ
父と娘は、電話では何となく…
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by hanaatushin | 2009-10-24 12:39 | 大切なとき

シルバーウイーク


長男夫婦と出かけてきました。
楽しい1日でした。
既に紅葉していて驚きました。
その美しさも、すばらしかったです。
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by hanaatushin | 2009-09-27 13:05 | 大切なとき

久しぶりの時間

昨日、親子四人だけで食事をしました
一体、何年ぶりのことでしょう
子どものときの話をしながら、笑いながら、楽しい食事の時間でした
父が頼んだ天ざるの天ぷらを
みんなで分けて食べました
私は椎茸を
弟はピーマンとなすを
母は、父から半分もらってカボチャを
父は、半分のカボチャとエビを
楽しく食べました
おいしい昼食でした

でも、そこは病院の食堂でした
弟も私も、父の受診の付き添いで、病院に駆けつけて、
検査結果が出るまでの1時間の食事でした
父に病気が見つかって、半年以上たちました

治療方針で、父自身が迷っていたために、3か月ごとの検査だけできましたが
いよいよ、決心をする日でした

父は、手術を決めました
母も、手術をします
母の病気が見つかる前までは、
このままでいいと言い張っていた父でしたが
とうとう手術を決めました

その後の4人での食事でした

楽しい時間でした
私たちが小さかった頃、
4人が揃って出かけた記憶はほとんどありません
両親とも、働くことだけの人でした
働かなければ、生活は成り立たない家庭だったのかもしれません
今も、両親ともに我が身を鞭打つようにして働いています

弟が言いました
手術をしないで、ずっと働くことができたら…
父の生き甲斐は、働いて家族のためになることだから…


手術をしたら、父は衰えるでしょう
でも、弟も私も、父も母も、口にはしません

今4人揃って食事ができる時を、
ゆったりと身に染み込ませるようにして過ごしました

弟は6時間かけて勤務地に帰りました
私は3時間かかって自宅に戻りました

父は
食卓にうつむいたまま
外に見送りには来てくれませんでした
またね
と私は大きな声を父の背中にかけて玄関を出ました

離れていても大丈夫
私たちは親子だから
何があっても駆けつけるから

そう声に出したい思いをぐっと堪えて
じゃ、またね
今度は8月に来るねと
母に手を振りました

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         4月 孫と並んで田植機に乗る父
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by hanaatushin | 2009-07-30 17:56 | 大切なとき

田植え

父と母とでしている農業
けれど、近年は二人だけではたち行かなくなってきた。
種まきの時には、甥・姪・義妹が手伝った。
田おこしや、代掻きは父が一人でがんばったけれど、
今年は苗の管理がうまくいかなくて
思ったような苗ができなかったらしい。
これまでと違う土や紙を使ったため、管理方法を変える必要があったのに、
従来の方法で対応したのが原因だったらしい。
新しいことを取り入れることがだんだん難しくなっているのだと、
父は自分で語っていた。

4日間かかる田植え。
単身赴任中の弟も戻ってきて手伝った。
甥も姪も、我が家の娘も、私も、夫も手伝った。
義妹は一日中家の中のことをしてくれた。

苗をトラックに積み込み田んぼに行き、
父が田植機に乗り運転(操作)をする。
母は苗の箱を父に手渡す。
これだけの作業だけれど、
足元が不安定で、片腕がおぼつなかない両親には重労働なのだ。

苗の空箱3つを母は重くて…と言う。
私は3枚など片手ても持てる。

田の中を長ゴム靴を履いて歩き苗を手植えする娘を見て父は、
はねるように歩くなあ、と感心して言った。
かつては自分がそうだったことを忘れているような言い方だった。

多分、来年はもっと農作業が大変になるだろう。
かろうじて水田は管理されているけれど、
畑は、雑草が生えるがままに 荒らしているところもある。
両親では管理しきれないからだ。
畑の一つは、アスパラガスが植えられていて、まだ収穫できるので
耕してしまうこともできず
かといって、草取りもできず放置されていたのだ。

4月末に、主人が一日中草取りを手伝って、ようやく畑らしくなったのもつかの間
また、あっという間に雑草がはびこってくる。

5月の穏やかな日曜日、
田植えを手伝いながら、
何年か後の農村風景はどう変わっているのだろうと
少し暗い気持ちになった。

写真は、娘のカメラに入っているので、手に入ったらUPします。
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by hanaatushin | 2008-05-25 13:17 | 大切なとき